Bliss Divine

50.音楽

 音楽はガンダルヴァ・ヴィディア(サンスクリット語で音楽の科学)である。芸術の中で最も古いものである。ラーヴァナは音楽でシヴァ神の機嫌を取った。

 音楽は感情を表現するための媒体である。音楽は愛を燃え立たせ、心を希望で満たす。声と楽器の種類は数えきれない程である。男性も女性も、あらゆる人の心の中には音楽がある。彼らの舌の上には音楽がある。

自然の中の音楽

 音楽は、風や波の中にある。音楽はナイチンゲールの鳴き声の中にある。それは映画スターや音楽家の中にある。コンサート、オーケストラ、劇場の中にもある。

 音楽は小川の流れの中にある。音楽は子供の泣き声の中にある。あなたが耳を持つなら、あらゆる物の中に音楽がある。

音楽の力

 音は、絶対者の最初の顕現であった。音は、超越的な魂の力によって溢れんばかりに満たされており、全ての創造物の中でもパワフルな因子の一つである。それは、他の顕現全てに広く影響を与え、それらを効果的に制御する。音に関する、このような主張を立証するために、個人的、あるいは宇宙的な、多数の事例を引用することができる。

 タンセン(16世紀に活躍したインドの音楽家)がメガ・ラーガによって雨を降らせ、ディーパカ・ラーガを歌うことでランプに火を灯したという話を聞いたことがあるだろう。他にも、雨雲を吹き飛ばして消散させたり、角笛やラッパを吹き、太鼓を敲くことで、雲を集めて雨を降らせたりしたという、チベットの僧侶に関する話もいくつかある。

 また、鹿が甘い音色に誘われて罠にかかることや、コブラが甘い音楽に魅了されることは良く知られている。ナダはマインドを魅了する。マインドは甘いナダの中でラヤ(消滅、融解)を経験する。

 サ・リ・ガ・マ・パ・ダ・ニ・サの甘く優しい音に注目しなさい。音楽は獰猛な虎をも鎮める魅力を持っている。岩を溶かし、バニヤンの樹を曲げる。音楽は心を魅了し、和らげ、元気にする。高揚させ、インスピレーション、強さ、活力を与える。音楽は記憶の中で振動する。不治の病を癒す。

 音楽は心をサットヴァで満たす。心の中に調和をもたらす。最も硬い心をも溶かす。音楽は人間の粗暴な性質を和らげる。

 音楽は、苦しんでいる人々を慰め、落ち着かせ、元気づける。孤独な人や悲嘆に暮れている人の心を和ませる。心配ごと、不安、憂いを取り除く。音楽は、あなたに世界を忘れさせる。人はリラックスするために、また、心を高揚させるために、音楽を求める。

 帰依者はエクタ・タンブーラと共に座り、沈黙の中で神に心を溶かす。ナーラダ・リシ(複数の叙事詩に登場する聖者で、放浪する音楽家)は手にタンブーラを持ち「シュリマン ナーラーヤナ ナーラーヤナ」と歌いながら三界を放浪する。音楽は帰依者が神と交流するのを助ける。それは、マインドを素早く集中させる。音楽はバーヴァ・サマディ(エクスタシーを伴う高次の意識状態)をもたらす。ティヤーガラージャ(18世紀~19世紀の音楽家)、プーランダーラ・ダース(カルナータカ州出身、15-16世紀の哲学者/音楽家)、ミーラ、トゥカラム(17世紀の哲学者、詩人)は、全員が音楽を通して神を悟った。

プラナヴァ——全ての音楽の根源

 音楽の持つ、この強大な力は一体どこから来たのだろうか?それは、ブラーフマンの至高の音楽、すなわち神聖なプラナヴァから来ている。タンブーラやヴィーナの振動を聞きなさい。あなたには、荘厳なプラナヴァ・ナーダが聞こえるだろうか?全ての音程が美しく溶け合って、このプラナヴァの中に存在している。全ての音程は、このプラナヴァから生まれた。音楽の目的は、あなたの心にプラナヴァ・ナーダを反響させることである。Om、すなわちプラナヴァは、あなたの本当の名前であり、真のスワルーパ(本来の形)だからである。あなたが音楽を聴くことを好むのは、そのためである。音楽は、あなた自身に本来備わる名前の、最も旋律的な抑揚に他ならない。そのようにマインドが魅了され、自己の本来の性質と統合された時、そこに蓄積された神の偉大な力が内側から湧き起こり、身体とマインドを癒すのである。

バーヴァ・サマーディと超直観的知識

 サンギータ(音楽と音楽に関連する芸術)を行う者は身体と世界を忘れる。サンギータはデーハディヤーサ、すなわち身体との同一視を取り除く。バクタ(信愛を通してヨーガをする者)は帰依の音楽を歌うことでバーヴァ・サマーディに入る。彼は知識と智慧の偉大な貯蔵庫であるアーナンダ、すなわち究極の至福と対面するのである。そのため、サマーディから覚めるときはニャーニ(知識を得た者)として戻り、周囲に平和、至福、智慧を放射する。

 トゥカラムは農夫だった。彼は自分の名前すら書けなかった。手にシンバルを持ち、クリシュナの名前であるヴィッタラのサンキールタンを常に行っていた。そして、物質的な身体として現れたクリシュナ神と対面したのである。サンキールタンによって、彼のディヴィヤ・ドリシュティ、すなわち内なる目が開かれたのだ。彼の霊感に満ちたアバンガ(ヴィッタル神を称える歌)はボンベイ大学文学部の教科書になっている。無学なトゥカラムは、その知識を何処から得たのだろう?彼はサンキールタンを通して知識の源泉を口にした。深いサンキールタンによってもたらされたバーヴァ・サマーディを通して、聖なる泉に潜り込んだのである。

音楽はスピリチュアルなものである

 音楽は神経に心地よい刺激を与えたり、感覚を満足させるための道具ではない。音楽はヨーガ・サーダナであり、アートマ・サクシャットカラ(真我を悟ること)の達成を可能にするものである。音楽の持つ、この崇高な理想と穢れの無い純粋さを保存することは、全ての音楽家と、音楽の振興を目指す学校にとっての第一番目の義務である。

 聖者ティヤーガラージャ(17-18世紀の音楽家。現タミルナドゥ州出身)やプーランダーラ・ダース(現在のカルナータカ州出身、15-16世紀の哲学者/音楽家)、そしてその他の人々が繰り返し指摘し、彼ら自身の離欲と帰依の人生によって強調しているのは、音楽をヨーガとして扱うべきだということである。そして、真の音楽は、世俗の穢れから完全に解放された人と、真我の悟りに向けてのサーダナ(修行)として音楽を練習している人だけが味わうことのできるものである。

 ティヤーガラージャはラーマ神の帰依者であった。彼の帰依の歌は、ほとんどがラーマ神への崇拝の歌である。彼は数回にわたって直接ラーマ神のダルシャン(神の姿を見ること)を得た。プーランダーラ・ダースはヴィッタラ神を崇拝していた。彼は、40年にわたり、歌を通して国中にバクティ(バクティ・ヨーガ;帰依のヨーガ)を広めた。彼は心の奥で魂の音楽を聴き、魅惑的な音楽を外に向けて表現したのである。

ミーラはクリシュナと対面した。愛するクリシュナと言葉を交わした。クリシュナ・プレマ・ラサ(クリシュナへの純粋な愛の甘露)を飲んだ。彼女は心の底から、魂の音楽を歌った。愛する人について、そして、自分自身の独特な霊的体験について歌った。彼女の愛の言葉は非常にパワフルで、強固な無神論者でさえも、帰依心に満ちた歌に感動を覚えるだろう。シャーマ・サーストリガル(18-19世紀の音楽家。現タミルナドゥ州出身)はデーヴィの偉大な帰依者であった。彼は母なるカーマークシからの、ある余るほどの恩寵を楽しんだ。偉大なナーダ・ジョーティ(音の知者)であるムトゥスワーミ・ディークシター(18-19世紀の詩人・音楽家。現タミルナドゥ州出身)は、スブラマニャ神そのものを至高のグルと見做していた。彼の作曲した曲には全てグル・グハ(その人の心の洞窟に住むグル)というムドラー(作曲家としてのペンネーム)が記載されている。

 音楽はナーダ・ヨーガである。様々な音程は、クンダリニー・チャクラの中に位置する特定のナーディ、すなわち精妙な管と対応している。音楽は、これらのナーディを振動させ、浄化し、その中に潜在しているサイキックでスピリチュアルな力を覚醒させる。ナーディの浄化は、マインドの平安と幸福を保証するだけでなく、ヨーガの修練における成功をも確実にし、修行者を助けて容易く人生の目標に到達できるようにする。

音楽がマインドと身体に与える影響

 甘い旋律は全ての生き物のマインドと身体の性質に強力な影響を及ぼす。ヴァーサナとヴリッティという頭巾を千枚も被っている神秘的なマインドも、音楽の罠にかかれば修行者の膝の上で静かに横たわる。修行者には、マインドを音楽に合わせて踊らせることも、意のままに制御することも、思い通りに形造ることも可能である。マインド、それは人間の内なる悪魔の道具、マーヤーの魔法の杖、全てのスピリチュアルな探求者にとっての脅威である。そのマインドが完全に制御されて、このミュージック・ヨーギの手の中にある。このミュージック・ヨーガに関して驚くべきことは、音楽家のマインドだけではなく、音楽を聴いている者たち全員のマインドも制御されるということである。聴衆の心は静まり、平和になり、至福に満たされる。ミラバイやトゥカラム、カビールダース、シュリ・ティヤーガラージャ、プーランダーラ・ダースやその他の偉大な聖者たちが、彼らのウパデサ(スピリチュアルな教え)を甘い音楽に織り込んだのは、そのためである。通常、心は俗世という邪悪なコブラによって厳重に守られている。甘い音楽を添えることで、聖者たちの崇高な考えを容易く聴衆の心に届けることができるのだ。

 古代のリシたちは、常に詩や歌の形で感動的な作品を書いてきた。ヴェーダ、スムリティ、プーラナなどの聖典には全て曲が付けられており、韻律的な構成となっている。そこにはリズム、韻律、メロディーがある。中でも、サーマ・ヴェーダは、その音楽性において比類のないものである。

 音楽は病気の治療に役立つ。聖者たちは、フルートやヴァイオリン、ヴィーナやサーランギのメロディアスな音によって多くの病気を治療できると断言している。彼らは、音楽は病気に対して並外れた力があると主張する。甘い音楽が作り出す調和のとれたリズムは魅力的な特質を持っている。それは、病気を外に連れ出し、そこで音の波と遭遇する。両者は混じり合い、空間に消え去る。

 音楽は神経の緊張をリラックスさせ、緊張によって影響を受けた身体の部分を正常な機能に戻す。

アメリカでは、神経性の病気を持つ患者を、医者が音楽で治療する。古代エジプトの寺院では、神経系の病気を治療するために音楽が使われていた。ある病気を、全ての医療システムが治せなかったとき、サンギータ(音楽と、音楽に関連したアート表現)やキールタンが最良の薬となる。キールタンは驚くべき効果を発揮する。慢性病や不治の病の治療において、キールタンは唯一の避難場所であり、頼みの綱である。この、特別な薬を試しなさい。そして、その素晴らしい効果を実感しなさい。病気で苦しんでいる人が居たら、彼のベッドの近くでキールタンを歌いなさい。その人の病気は、すみやかに完治するだろう。

キールタン・バクティ

 キールタンとは神の栄光を歌うことである。帰依者は神聖な感情で、うっとりする。神への愛に我を忘れる。極端な愛によって、鳥肌が立つ。神の栄光を思い、歌の途中で泣き出す。声は上ずり、神聖なバーヴァの状態に飛び込む。

 キールタンとは、感情、愛、信仰を込めて、神の名を歌うことである。サンキールタンでは、人々が共通の場所に集い、集団で神の名を歌う。そこには、ハーモニウム、ヴァイオリン、シンバル、ムリダンガ、コール(西ベンガル地方の伝統的な打楽器)などの楽器の伴奏が付く。キリスト教徒が教会で賛美歌を歌うときには、ピアノの伴奏が付く。これは紛れもなくサンキールタンである。キールタンは九つのバクティの方法の中の一つである。サンキールタンは正確な科学だと言える。人は、キールタンだけで神を悟ることができる。これは神意識に到達するための一番簡単な方法である。古代ではナーラダ(放浪の音楽家・聖者。マハーバーラタとラーマーヤナに登場)、ヴァールミキ(伝説の詩人、ラーマーヤナの著者とされる)、シュカ(聖者ヴィヤーサの息子。バガヴァタ・プラーナの中で、主な語り手として登場)、そして近代ではガウランガ(16世紀の聖者、ISCONと関連)、ナーナク(1516世紀の宗教家、シーク教の開祖)、トゥラシダス(16世紀の聖者・詩人。ラーマに帰依)、スルダス(16世紀の盲目の歌手・詩人。クリシュナに帰依)のような神聖で偉大な人々は皆、キールタン・バクティだけで完全さを達成した。

 神の名前を歌うことによって生み出される調和のとれた振動は、帰依者がマインドを制御することを容易にしてくれる。彼らのマインドに良い影響を与える。古い轍や溝から、神聖な輝きと栄光に満ちた壮大な高みへと、マインドを一気に引き上げる。人が完全なバーヴァ(スピリチュアルな態度)とプレム(信愛)を伴って、心の底からサンキールタンを行うなら、木々や鳥、そして動物さえも深い影響を受けるだろう。彼らは歌に応じるだろう。それがサンキールタンの強力な影響力である。

キールタン・バクティの背後にある心理学

 キールタンは帰依の方法として非常に効果的であるが、それには別の理由がある。人は情欲に満ちた生き物である。 彼は次から次へと愛する。この世のものを愛さずにはいられない。しかし、その愛は単なる情熱であり、純粋で神聖な愛ではない。彼は、甘い音楽を聴き、美しいものを見て、ダンスを観賞したいと思う。 音楽は、石のように固い心をも溶かす。 この世に人の心を素早く変えるものがあるとすれば、それは音楽とダンスである。 まさにこの方法が、キールタン・バクティに使われる。 ただし、それは官能的な楽しみにではなく、神に向けられる。情欲の感情は神聖なものに向けられ、音楽と歌に対する愛情は破壊されない。なぜなら、その人にとって非常に大切な感情を突然破壊することは、完璧さを達成するための障害となるからである。キールタンは甘く、心地よいものであり、キールタンによって心は容易に変化する。 

 キールタンは家庭を持つ人にとっても最適な方法である。 それは心に喜びを与えると同時に、心を浄化する。 キールタンには二重の効果がある。

 サンキールタンを毎日行いなさい。 サンキールタン・バクティを隅々まで広めなさい。サンキールタンを通じて 宇宙的な愛を開発しなさい。 あらゆる場所にサンキールタン・マンダリス(サークル、集まり)を設立しなさい。 サンキールタンを行うことによって、ヴァイクンタ(永遠の天界、ヴィシュヌの棲み家)を地球上に――すべての家に――もたらしなさい! サット・チット・アーナンダの状態を実現しなさい。

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