Bliss Divine

42.生命

 生命は神の顕れである。生命は喜びである。生命とは、溢れ出る魂の至福である。

 生命は意識的な流れである。あらゆる原子の中に生命が振動している。生命は全ての物に宿る。生命のない物質など存在しない。一つの石ころでさえ生命を持っている。物質には生命が脈動している。これは近代の科学によっても証明されている。

 人生は時という無限の海を渡る旅である。その景色は絶え間なく変わる。人生は、不純さから純粋さへ、嫌悪から宇宙的な愛へ、死から永遠の命へ、不完全から完全へ、隷属から自由へ、多様性から統合へ、無知から永遠の知識へ、痛みから永遠の至福へ、弱さから無限の強さへと向かう旅である。人生とは、神の子供たちが神自身に進化を遂げるようにと、神によって与えられた偉大な機会である。人生は奉仕と自己犠牲である。人生は愛である。人生は人間関係である。人生は詩であり、散文ではない。人生は芸術と想像であり、科学ではない。人生は礼拝である。

 私たちは通りすがりの巡礼者としてここに居る。目的地は神である。私たちは、失われた遺産、忘れられた遺産を探し求めている。人生の中核とも言える偉大な目的は、私たちが神と一体であるということを意識的に悟ることである。分離した人生は意味がない。個別の魂が至高の魂と一体になったとき、人生は初めて意味のあるものとなる。

人生の目標 

 人生の本当の目標は自分たちの根源に立ち戻ることである。川は、水の本来の供給源である海と合流するために休みなく流れ続ける。同様に、飛び火も元の火と合体するために恐ろしい勢いで燃え広がる。私たちもまた、「彼」の恩寵を得て「彼」と一体になるまでは、この場所で動き回るのである。

 人生の唯一の目的は、自己覚醒、もしくは完全な自由に到達することである。人間の命は、自分の中に永遠に存在している神を発見し、表現するために与えられる。人生の目的は、他と分離した個性という感覚を手放して神の中に溶け込むことでる。永遠の生命を得ることこそ、この限りある人生の至高の目的なのだ。

物質の中の生命と宇宙の魂の中の生命

 宇宙の魂の中にある生命だけが、真実で永遠の生命である。恐れ、不安、病気、不和を抱えながら常に忙しく動きまわる現代の生活は真実ではない。富や権力による物質的な贅沢さは人生の最終目標ではない。そのような人生から心の平安や魂の静けさは得られない。

 五感を楽しませるための人生は生きる価値がない。感覚的な楽しみは猛毒を混ぜた蜂蜜のようなものである。感覚的な楽しみ1に対して、15倍もの痛みが返ってくる。感覚的な喜びは様々な欠点、罪、痛み、執着心、悪い習慣、落ち着きの無さを伴うものである。感覚的な楽しみの追及は神への帰依心を失わせ、マインドが真実の探求に向かう可能性を弱める。感覚的な楽しみの追及は生命、光輝、強さ、活力、記憶力、富、名声、神聖さ、至高の存在に対する帰依心を破壊する。そして人間を地獄に引きずり下ろす。

 世俗的な人生は、悲しみ、痛み、束縛に満ちており、多くの欠点、弱さ、限界を持つ。それは、嫌悪、嫉妬、自分勝手、裏切り、気苦労、心配、不安、病気、死、邪悪さ、不正直、策謀、二重取引、残酷な競争、不純さと暗黒、喧嘩、口論、闘争、戦争、失望、絶望と落胆、残酷さ、搾取、興奮、落ち着きの無さに満ちている。すべての物が想像上の小さな喜びによってコーティングされている。それはまるで、薄い金メッキのようなものである。実際のところ、人生は虚飾に満ちた幻影である。砂糖のコーティングの下は苦い薬なのだ。金メッキの中身が真鍮であるように、快楽と呼ばれるものの背後には痛み、みじめさ、苦悩が隠されている。世俗での人生は恐れ、執着、苦難に満ちている。

 世俗的な人生は現実ではない。それは変転する幻想に過ぎず、価値が無く、取るに足らないものである。そのような人生の終末は一塊の塵である。大げさな話、うわさ話、食べることと寝ることの他には何もない。全てが幻想であり全てが苦痛である。短期的で一瞬にして過ぎ去るものである。世俗的な経験は無価値であり真実ではない。神だけが真実である。

 ゼロがいくつ重なっても、先頭に1を加えるまで価値はない。同様に、もしあなたが全世界を所有していたとしても、スピリチュアルな人生を送らなければ何の価値もない。スピリチュアルな富を持たず、自己を実現できない人生はゼロに等しい。あなたは魂の中に生きるべきである。この地上での生活にアートマンを加えるべきである。イエス・キリストが「初めに神の王国と神の正義を探しなさい。そうすれば、あなたは全てのものを得るだろう。」と言ったのはそのような理由からである。

 永遠の中で送る人生は、満ち足りている。それは豊かで内面的な、スピリチュアルな人生である。そこには悲しみや痛みがない。それは、満ち足りており、完全で、独立している。知恵と、永遠の至福に満ちている。それは偏在し、不変である。そこには完全なTushti(満足すること)Pushti( 保証)がある。

 魂の人生を受け入れよう。あなたは純粋で自由になることだろう。人生で一番美しいことは、真実の祭壇の前に自分の一番大切なものを捧げることである。生きるということは、真実を探すことであり、勇気をもって全ての障害を乗り越えることである。人生で最も大きな喜びは神への帰依であり、自分の心の中で神を瞑想することである。スピリチュアルな人生は、人間の生命に意味を与え、栄光を伝えるものである。

人生の苦闘

 生きることは理想のために戦うことである。人生とは、豊かさと完全さを獲得するための戦いである。それは、至高の独立を勝ち取るための闘争である。人生とは闘いと抵抗による克服の連続である。人は闘いを通して進歩し、成長し、拡大し、様々な経験を得る。人生と社会は苦闘や戦いが無くては存在できない。もしあなたが存在し続けたいなら、苦闘を避けることはできない。

 あなた自身の心という戦場で、内面の敵と勇敢に戦いなさい。マインドや感覚との戦いでほんの少しの勝利を得るだけで、意志の力が開発され、自信と勇気を与えてくれる。闘いが激しいほど勝利の栄光も大きい。自己を悟るためには非常に激しい苦闘が必要とされるのだ。

 神のために生きなさい。このちっぽけな世俗の人生の困難や試練に大胆に立ち向かいなさい。人間らしくありなさい。勇気を持って偉大な達成のために苦闘しなさい。山を登り、運河を越え、都市を爆撃し、要塞を爆破することは、真の英雄的行為ではなく勇気でもない。マインドと感覚を制御し、自己を克服し、怒り・情熱・エゴイズムに打ち勝つことこそが、真の英雄的行為となる。あなたは、いつまで情熱と感覚の奴隷であり続けるのだろうか?本来の神聖な性質を現わしなさい。低次の性質・低次の自己を克服しなさい。それがあなたにとって一番重要な義務である。

人生は学校である

 しかし、これは物質的で物理的な次元での人生を無視すべきだという意味ではない。物質は神自身の遊戯の顕れである。熱と炎、冷たさと氷、花と芳香、ブラーフマンとマーヤーが一体であって分離できないのと同様に、物質と魂も分離することができない。物理的な次元での人生は、ブラーフマンにおける永遠の人生への明確な準備である。人生は、多くの有益なレッスンを学び、人格や神聖な徳を育てるための偉大な学校である。人生という学校では、悲しみや痛みや失望の一つ一つが貴重なレッスンをもたらす。地上での生活は、完全な自己に到達するための手段である。

 世界は、あなたの最良の教師であり、最良のグルである。あらゆることが学びにつながる。全ての体験の中にレッスンがある。慈悲心、赦し、我慢強さ、宇宙的な愛、寛容さ、気高さ、勇気、高潔さ、忍耐力、意志の強さなど、様々な神聖な徳を開発するために、世界は最良のトレーニング場となる。世界は邪悪な性質と戦うための競技場であり、自分の中の神聖さを現わすための場所でもある。ギータとヨーガ・ヴァシシュタの中心的な教えは、世界に残っていながら真我を悟るべきだというものである。世界の中に居て、世界の外側に居なさい。蓮の葉の上の水滴のように振舞いなさい。自己中心性、情欲、怒り、強欲、嫌悪、嫉妬などの低次の邪悪な性質を手放しなさい。神聖な性質を身につけなさい。精神的な離欲と自己犠牲の人生を生きなさい。

人生での成功と神を悟るための確実な方法

 シンプルで気取りのない生活をしなさい。食べるために生きないで、生きるために食べなさい。嫉妬しないこと。中傷しないこと。嘘をつかないこと。人を騙さないこと。悪意を持たないこと。そうすればあなたは常に喜びに満ち、幸福、平安で居られる。

 正直さが人生のルールである。徳の高い人生を送りなさい。ダルマに添って生きなさい。徳のない人生は人間の人生とは言えない。人生にとっての塩は無私の奉仕である。人生にとってのパンは普遍的な愛である。人類全体への奉仕と愛がなければ、人生を完全に生きたことにはならないし、人生を完全に実現したことにもならない。真実の人生の秘密は、

 神への愛と人類への奉仕の中にある。人を助けるために生きなさい。あなたに命を与える力として、神聖なパワーがあなたの中を流れ始めるだろう。

 聖者の人生を学んで彼らからインスピレーションを得なさい。暖かい心、人に手を差し伸べること、親切な言葉、奉仕の人生、平等な見方、偏見のない態度を身につけなさい。あなたの人生は祝福されるだろう。

 奉仕せよ、愛せよ、与えよ、浄化せよ、瞑想せよ。あなたの旅は永遠の至福という新しい  領域に到達するだろう。そこに光輝く宝を見つけ、神を再発見するだろう。あなたは強く、健康で、自由で、親切で、幸福で、平和な人になるだろう。そして、あなたが関わる全ての人にインスピレーションと祝福を与えるだろう。

 人生を喜びで満たしなさい。サッチャ(正直さ)から喜びを得なさい。タパスから喜びを得なさい。ダヤ(慈悲心)から喜びを得なさい。ダナ(与えること)から喜びを得なさい。

 シンプルな生活をしなさい。規則正しい生活をしなさい。困難な生活をしなさい。一日一日をそれが最後の日であるかのように考えなさい。そして、一秒一秒を祈りと瞑想と奉仕のために使いなさい。人生を神への継続的な祈りの儀式にしなさい。

 現在に生きなさい。過去を忘れなさい。未来への期待を手放しなさい。

 人生の意味を良く理解しなさい。その上で人生を探求しなさい。人生はあなたにとって最も偉大な贈り物である。一秒一秒を有益に過ごしなさい。成功は、勇敢で、行動する人にしばしば訪れる。臆病な人に訪れることはほとんどない。

人生の統合

 人生を全体として見るようにしなさい。包括的な視野を持ちなさい。全ての生命は一つである。全ての生命は、唯一無二の現実であるところのブラーフマン、もしくは絶対的存在を起源とする。神の息吹は全ての生命に宿っており、全ては一つである。世界は一つの家である。全ての人が人類という一つの家族の一員なのだ。あらゆる創造物が一つの有機的な全体を作っている。全体から独立して存在する人は一人も居ない。人は、自分自身を他の人から分離させることによって自分を惨めにしている。分離は死であり、統合は永遠の命である。宇宙的な愛を育てなさい。全てを含めなさい。全てを抱きしめなさい。他の人の価値を認め、人と人を隔てる障壁を一つ残らず壊しなさい。全ての生命体に宿る非二元の原理、永遠の生命を持つ本質に気づきなさい。動物を守りなさい。全ての生命を神聖なものとして扱いなさい。そうすれば、世界は美しい楽園、平和と静けさに満ちた天国となるだろう。

 花や緑の草に微笑みかけ、蝶や鳥や鹿と遊びなさい。灌木や苔や木の枝と握手し、虹や風や星や太陽に話しかけなさい。流れる小川や海の波と会話しなさい。杖に話しかけ、隣人や犬、猫、牛、人々、木々、花々と友達になりなさい。そうすれば、あなたの人生は広がり、完璧で、豊かで、満たされたものになるだろう。あなたは、人生の合一、統合を実現するだろう。それは言葉に表すことができない経験である。あなた自身で感じるしかないのだ。

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